Compartmental Analysis
夜半に論文をつらつらみていたら、びりびりくる参考文献がヒット。名著の匂い。
Compartmental Analysis in Biology and Medicine (John A. Jacquez ASIN:0444410465)
1972年初版で、その後10年おきに第3版まででている。図書館に探しにいったらあったんでかなりヨロコビ。家に帰ってパラパラ見始めたら、考えていたような模式図が出てきた。イースターの間にもうすこし読んでみよう。Compartmental Analysisって日本語でなんなのかな。「隔室解析」?
ファルージャの損害の正しい規模がわからない。
月曜日に米軍海兵隊がファルージャを封鎖した。この封鎖は本物の封鎖で、救急車さえもが街からの出入りを禁止された。ジャーナリストはこの数日、ファルージャに入ることができなかったようだが、ザ・オーストラリアンが8日付のファルージャ発の記事で、イラク人280人死亡、400人が負傷、としている。かなりの規模だ。おそらくこの情報元は、ファルージャ市内に唯一がんばっているメディア、アルジャジーラ経由。人数は、ファルージャ市内の病院の病院長の発表。建物の瓦礫のしたにはもっと多くの人間がいるはずだが、未だに戦闘中なので確認が不可能。住民に対する攻撃は無差別で、米軍ヘリや狙撃兵は、救急車までも攻撃している。
モスクのミサイル攻撃・イラク人40人死亡の報道について、Kimmit駐イラク米軍准将は、モスク周辺の壁は壊したがモスクの本堂は壊していないし、海兵隊がモスクを確認したが、死体は発見できなかった、といっている。
米英軍のモスク攻撃、死者数は不明 イラク
昨日の伝聞報道では、モスク内で倒れた人間たちは周囲の民家に運ばれて手当てをうけ、死体はモスクの外に緊急に設置された安置所に運ばれた、となっていたので、確かにモスクには死体や負傷者はいないだろう。また、モスクを攻撃したこと自体は事実で、この象徴的な事件はイラクのみならず中東のモスレムを大きく刺激する。昨日のKimmit准将の発表では、「モスク本堂から海兵隊に対して狙撃が行われ、5人の海兵隊員が被弾した。このため、モスク本堂をミサイル攻撃した」となっていた。これをそのままワシントンはメディアに言っていた。ずいぶんくるくる変わる内容である。
国旗国歌と学校の関係
昼飯の時に他の国の事情をちょっと聞いてみた。フランス。学校で国旗国歌は見ないし歌わない、と言っていた。学校の外に立っていることはある、とのこと。いやー、このあいだ日本で国歌を歌わなかった先生が200人処分されたんだよー、といったら、おお、かの有名な日本のファシズム復活か、といっていた。ファシズムとはいわんが、そんな印象もって当然だよな。クロアチア人。クラスの中に、赤と白のエンブレム(クロアチアの旗の中にあるマーク)があることはあるが、国歌斉唱はありえん、と言っていた。国歌斉唱はサッカーの時だけだ、という。私は98年のワールドカップ、ドイツークロアチア戦の時に、ドイツ人の群集の中でクロアチア人のグループが国歌を歌っていたのを思い出す。戦争中はどうだったのか聞いたら、政治的には超国家主義的だったけれど、学校は別だ、だって先生がいるじゃん、とのこと。戦争中でも同じクラスにカソリック・モスレム混在だったので、学校でそれやったらヤバイよなあ、と言っていた。イタリア人にも聞いてみた。クラスの中には小さな十字架が壁にかかっていて、これまた先生によるのだが、信仰厚い先生は毎朝生徒たちに祈りを捧げさせることがあるそうだ。国旗国歌を学校で生徒に強制することはない。卒業式とかは?ときいたら、イタリアではそもそも卒業式がないので、そうした形での国歌斉唱もありえない、とのこと。生徒に国歌や国旗を強制させろ、愛国心を醸成するのだ、というような右翼側からの議論はないんだろうか、と聞いたら、ない、そんなことしても意味ないじゃない、という答え。
なんとなく宗教・国家・個人という三角関係がみえてくる。日本ではこの三角関係が潰れて、一直線の束になっている。国旗国歌の強制はこの束の融合に他ならない。
日本の民間人三名人質。自衛隊イラク撤退が交換条件。
米軍が対応すべき話。「北朝鮮が攻めてきたら米軍に守ってもらう」の理屈を通すんだったらね。