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ルーマニアから女奴隷を調達してイギリスで売春させている女衒が逮捕された、という記事。女衒自身が逮捕されることは、珍しい、とのコメントがある。東欧の10代の女の子を騙して、西側でタコ部屋に閉じ込めて売春させるという話はよく聞く話である、2年前にも私が当時住んでいた町の郊外で、全裸の10代前半の女の子が全身を傷だらけにして、なきながら民家に駆け込み、警察が緊急出動したところ、その郊外の一軒屋が東欧の若い女の子達相手のSM乱交パーティークラブであったことが判明し、企業の要職のオヤジが次々と逮捕された事件があった。パゾリーニのソドム120日を想起させる事件だった。
こうした話を聞くと、暴力で女の子達の言うことを聞かせている、という構図を思い描くのだが、最近パリ出身のフランス人の友人に聞いた話はちょっと毛色が違っていた。パリの売春婦はこのところアルメニア人がどんどんその勢力を伸ばしているそうである。彼女達にしてもそもそもは売春婦たることを目指してパリに住み始めたわけではなく、メイドやウェイトレスという名目で募集され、パリに送り込まれてきた人間である。女の子達はパリに到着するとまず金品その他を奪われ、法外な値段の家賃と「契約にかかる経費」を没収され、暴力的に売春を強要される。このあたりは日本でのフィリピン人収奪によく似ている。この後の過程が巧妙なのだが、彼女達はアルメニア人売春婦のコミュニティの一員になるのだそうだ。世話をする係りのオバサンや、いやな客を排除する男もいる。フランス語を喋ることができないアルメニア人の女の子達にとって、これはいわば、アルメニア人の村だ。やがて、このコミュニティの居心地がよく、ぬけることが出来なくなってしまう。当然このコミュニティは女衒が操作しているコミュニティでしかないのだが、暴力で繋ぎとめるのではなく、操作的なコミュニティの一員であることで、真綿でくるむように繋ぎとめてしまうのだ。ポストモダン型権力の真髄、環境管理型権力、である。
環境管理型権力のテキスト。
東浩紀・大澤真幸対談『自由を考える - 9・11以降の現代思想』ISBN:4140019670
↑について議論しているリンクをいくつか拾ってみた。
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って、いろいろざっと目を通していて感じること。具体例としてあげられるのは例えば「マクドナルドの椅子」だったりするのだが、実にヘタクソな例証である。日本にしたって、たとえば新大久保あたりで働かされている不法滞在の売春婦コミュニティにおいて環境管理型権力が跋扈している可能性は大有りなのではないか?暇な大学生ないしライター志望者にオススメ。新大久保に直行してその実態を環境管理型権力の視点から、実地で調査せよ。これ、ちゃんとレポできたら売れるぞ。中央公論あたりかな。
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タバコ仲間のドイツ人が、休暇明け休暇明け、とぶつぶついっているので、なにしてきたんだ、と聞いたら、「家にいた」という。10日間、電話線を切り、ケータイを切り、食料を買い込んで外部とのコミュニケーションを一切断って家に閉じこもっていたのだそうだ。たまにそんなことするわけ?と聞いたら、一年に2回やらんとおかしくなる、という。
先日、フランスのテレビ番組が日本の引きこもりを特集していて(フランス語では「イッキコモリィ」と発音していた)、いまや引きこもりも世界制覇か、と思いながらも、出不精なだけなんじゃないの、というような感想も避けられなかった。出不精、という人間は昔はそうした人間として認められていたのであり、いつしか出不精が認められない窮屈な社会になってしまったので、出不精な人間が過激化してしまったのではないか、なんて思った。上記のタバコ仲間は明らかに出不精なのであり、時々極端に出不精さを発揮しないと精神のバランスがとれない、ということなのだ。たぶん彼が日本に住んでいたら、遅かれ早かれ「引きこもり」になるのだろう。
出不精であることができない、という社会を作ってしまった点に不幸があるのだ。これはたぶん、阿部和重の「シンセミア」で描かれた、一億総ピーピング・トムと化したニッポン、ということと、とても関係しているのである。id:tokyocat=Junkyさんが、「シンセミア」の評を書いている。。